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 行動文化 (54)  「水平思考」と「垂直思考」 

    水平思考とは「不埒思考」

 インタネットで定義を調べてみると、まずはじめに「よくわからないが」とあって、「水平思考」とは既成の枠にとらわれずに、視点をさまざまに変えて問題解決を図る思考法、これに対して「垂直思考」とは論理的な思考や分析的な思考のような、データや根拠を積み重ねてゆく思考法をさすようだとある


 これは「水平」とか「垂直」とかいう文字から受けるイメージだが、つつしみのある抑えた言い方、的を外しているとは思わない 小論の「垂直思考」もこの線にそったものである


しかし観念的な理解、つまり総論としてはこれでよいが各論となるとこれだけでは片付かない このほかにもう一つの視点が必要になる


視野を広くとる、の「広さ」とは「水平」で横方向 対人関係でいえば「立場」を変えて考えるのも水平思考だが、しかし立場を変えて考えたとしても、そこに「自己省察」という垂直思考が伴わなければ無意味 何事もはじまらない 反省猿のように「ハンセ―イ」のポーズで終り    


ネットの解説には「枠にとらわれずに」とあるが、「枠」とは水平面での仕切りをいう 枠にとらわれなければ視野はたしかに広がるが、言葉を変えるとそれは「不埒」ということ 「不埒者」は自由人を意味する さて、ここからが問題 小生のような不埒者にとっては、水平垂直とは行動の座標軸にすぎない


 


「唯脳論」と「唯識仏教」との差異


ネットの解説では「論理的で分析的な思考法」を垂直思考と位置づけている


その限りにおいては異論はない しかしそれは科学的な思考法である 科学の手法を垂直思考とするには異議がある 理由は、科学の手法とは「対象論理」という水平思考であって、認識の主体側は問題にしない 養老教授の唯脳論の場合、量子論も視野に入ってはいるが、それもつまりは脳と電脳(コンピュータ)を同一視する人間機械論の唯物弁証法、つまりなんの独創性もない、古典科学の域を出ない水平思考の産物 同じ科学でも、量子力学は対象論理に終始する古典科学とは一線を画する どこが違うのか? 問題意識の次元がちがう 「唯脳論」の場合も含めて古典科学は認識の主体を分析の対象にはしない  

量子論は「観測者効果」に着目している 観測者効果とは主体論である これは小生の垂直思考を真裏から支えてくれる先端科学者の垂直思考 敬意をはらうに吝かではない 「唯脳論」 思いきった言挙げだが、すこし思い切りがよすぎはしないか? 期待をもって拝読したが、教授の学説は唯識仏教の主張とは堅固な壁に仕切られていて、解剖学者のメスでは刃が立たないようだ 
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