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行動文化 (56)  口のきき方 

 「親切」と「おせっかい」との差

 小欄での『バカの壁』批判に対して、「ほどほどにしておけ」という声がある


ご親切はありがたいが、従うわけにはいかない 


 口のきき方をふくめて、「作法」とは立場を弁えた上での、時宜に適ったふるまいをいう 礼の古典『礼記』はこれを「弁異」(異ヲワカツ) 表現している 


作法はキマリではない キマリは特定の場所の特定の人間がつくったものだが、「礼」はその時代の人間たちの感情の動きにピントを合わせた、自発意思による言動であって、そこには個人の識見とセンスが関与する 


 ほどほどにしておけ? 


これはおれの問題なんだよ おぬしには関わりのないこと ほっといてくれないか ケガをするぜ 木枯らし紋次郎兄貴なら、「あっしにゃあかかわりのねえ事でござんす」と身を退くだろう場面だ 


流通を妨害された上に、根拠を明らかにした上での学術上の正当な反論も「小股すくい」とか「揚げ足取り」といわれ、加えて小論でも「ほどほどにしておけ」と発言を封じられる こっちの身にもなってみてくれないか 他人の苦労なら百年でも辛抱ができるという図だ


他人は他人 自分は自分 たとえ屁ひとつだって貸し借りはできぬ 所詮、人は他人の身にはなれない できるのは「察する」ことだけだ 他人の気持ちを察する努力もせずに思ったことをそのまま言う それをお節介というのだ 


 


 精神病患者は「個性的な芸術家」か?


 精神病院に行けばまったくもって個性的な面々揃いです(P・51) 大便で病室の壁に絵を描く患者を天才的な芸術家と揶揄し、迷惑でたまらないという これが医療にたずさわる人間の言葉かとわが目を疑う 


 古来、医師は教師と並んで聖職者とされ、その技は「仁術」と言われてきた 


患者にとってドクターとは、今も神仏にも近い存在なのだ 重篤な病人をドクターに託するときの近親者たちの必死な目を見るがいい 仁医なら持てる力のすべてを尽くそうと思う その様子をみて我々は掌を合わせるのだ 基礎医学と臨床医療の違いはあっても著者は臨床医を世に送り出す教師のはず 現代の医療界を蝕んでいる「仁の欠落」 患者の身内の人々のかなしみは、著者の視野には入っていない どうなのだろう 五百万の読者 この『バカの壁』を絶賛紹介した各紙は、著者のこんな言葉に出会っても著者と一緒になってアハハと笑っているのか? やがては自分もドクターたちからこんな扱いを受ける日がくるのだ 昭和までの日本人は、こんな言葉を許さなかった ▲▲

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行動文化 (55)  オトナ、とは? 

 流行」と「不易」

古語である 「流行」は変化、無常 「不易」とは変わらないこと


形のあるものは変わるが、その「変化」を支えているのは、不易の「道理」


人は無常の世界に、北極星のように動かないものを基準に生きている


姑息な措置 つまり「さしあたりの答え」には、 すぐに「さしさわり」や「さしつかえ」がおきる しかしTPO(時宜)には、さしつかえはおきない


だから、T・P・Oという基準は変わらない いつも正解 これが「流行」と「不易」の次元差 それをつなぐのが垂直思考 「不易」のものがあるのだ


 え? いつも変わらない基準? そんなものがあるの? 


あるさ あるが、科学の水平思考の視野には入ってこない 次元の差があるからね オトナにしか見えない


 だれが作ったの?


 だれも作りゃしないさ 作ったら、それは「キマリ」だ


 だけど、がっこの先生たちは「キマリだから従え」って――


 ふん キマリに従ってるだけの人間を育てても人を育てたことにはならん


オトナの知恵?――常識?


 そう 


 でも、「ところ変われば品も変わる」っていうよ 「常識」だって同じだよ


 変わっていい 変わるからこそ「郷に入りては郷にしたがう」のだ それで「時宜」(TPO)なんだよ 変わらなかったら、それは「キマリ」 キマリで動くのはロボット


 じゃあ、「さしあたり」の自分の判断で?


 さしあたりの措置を「姑息」という 「永遠」が視野に入らないのが水平思考 目先の事しか見えないのが近視 垂直でも上だけ見てるのがヒラメ社員


 うふ 冗談はいいけど――でもそれじゃあ動けないよ


動けなくはないさ 考えなくてもひとりでに体の方で動いてしまう


でも「自由」はいいけどジコチューはいけないって


まず「常識」と「時代の通念」を参考にするんだ


でも、いつも「常識を疑え」っていうじゃん


お! いいぞ その調子だ ちっとばかりオトナに近づいたな この「常識」や「通念」を、自前の識見とセンスで洗い直し、研ぎ直し、臨機応変に使いこなせたら、それがT・P・O の達人 もう立派に一人前のオトナだ


オトナになんか、なりたくない


そうだなあ――おい、だからね、おれもずっと十六の子供でいるよ

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 行動文化 (54)  「水平思考」と「垂直思考」 

    水平思考とは「不埒思考」

 インタネットで定義を調べてみると、まずはじめに「よくわからないが」とあって、「水平思考」とは既成の枠にとらわれずに、視点をさまざまに変えて問題解決を図る思考法、これに対して「垂直思考」とは論理的な思考や分析的な思考のような、データや根拠を積み重ねてゆく思考法をさすようだとある


 これは「水平」とか「垂直」とかいう文字から受けるイメージだが、つつしみのある抑えた言い方、的を外しているとは思わない 小論の「垂直思考」もこの線にそったものである


しかし観念的な理解、つまり総論としてはこれでよいが各論となるとこれだけでは片付かない このほかにもう一つの視点が必要になる


視野を広くとる、の「広さ」とは「水平」で横方向 対人関係でいえば「立場」を変えて考えるのも水平思考だが、しかし立場を変えて考えたとしても、そこに「自己省察」という垂直思考が伴わなければ無意味 何事もはじまらない 反省猿のように「ハンセ―イ」のポーズで終り    


ネットの解説には「枠にとらわれずに」とあるが、「枠」とは水平面での仕切りをいう 枠にとらわれなければ視野はたしかに広がるが、言葉を変えるとそれは「不埒」ということ 「不埒者」は自由人を意味する さて、ここからが問題 小生のような不埒者にとっては、水平垂直とは行動の座標軸にすぎない


 


「唯脳論」と「唯識仏教」との差異


ネットの解説では「論理的で分析的な思考法」を垂直思考と位置づけている


その限りにおいては異論はない しかしそれは科学的な思考法である 科学の手法を垂直思考とするには異議がある 理由は、科学の手法とは「対象論理」という水平思考であって、認識の主体側は問題にしない 養老教授の唯脳論の場合、量子論も視野に入ってはいるが、それもつまりは脳と電脳(コンピュータ)を同一視する人間機械論の唯物弁証法、つまりなんの独創性もない、古典科学の域を出ない水平思考の産物 同じ科学でも、量子力学は対象論理に終始する古典科学とは一線を画する どこが違うのか? 問題意識の次元がちがう 「唯脳論」の場合も含めて古典科学は認識の主体を分析の対象にはしない  

量子論は「観測者効果」に着目している 観測者効果とは主体論である これは小生の垂直思考を真裏から支えてくれる先端科学者の垂直思考 敬意をはらうに吝かではない 「唯脳論」 思いきった言挙げだが、すこし思い切りがよすぎはしないか? 期待をもって拝読したが、教授の学説は唯識仏教の主張とは堅固な壁に仕切られていて、解剖学者のメスでは刃が立たないようだ 

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行動文化 (53)  簡単で即効性のある「金銀紙」療法 

 「元気が一番」という、妙に説得力のあるフレーズがある 長生きが手柄ではないとはいえ病苦は生きがい以前の問題 石橋輝美氏(大津接骨院院長)の開発になる、簡便な「金銀紙」療法というものがある はる部位は手背の二か所 時間は一晩~3日ほどをくり返して様子をみる 神経痛などの鎮痛にも即効性が特徴 金銀紙はタバコやチョコレートなどの包み紙で十分 8ミリ角を基本に 効果にはバラツキはあるが短期間での劇的な効果報告が目立つ 自分でできるごく簡単な方法だから、知友たちをはじめ親愛なる読者諸兄姉のために、場違いの観はあるが本稿での紹介を思い立った 詳細は東京マキノ出版の『金銀紙療法』でどうぞ 図解もある ここでは不眠、肩こり、便秘、咽喉部の機能障碍、肌膚の若返りをとりあげる 金銀紙を貼るだけ 痛くも痒くもない  

治癒機転については、生体の発生学的な視点からの代謝調整という以上の事は不明だが、患者にとっては安価で手軽で、安全で効果があれば、理論などどうでもよいのだ


不眠 場所は二か所 左手小指の第二関節 (指先から二つ目の観節)から5ミリほど手首寄りの手の手背側と、右手小指の同じ位置に、左小指に「金」紙、右小指に「銀」紙 金銀の色のある面を皮膚につけて、紙の絆創膏でとめる


肩こり 痛い側の手背の中指と薬指の間のミゾを、指の付け根から手首の方へたどり、中指と薬指の分かれ目を押してみると響くような痛みを感じる所がある そこへ「銀」紙を つぎにその隣の小指側のミゾの同じ位置に「金」紙をはる 両肩のこりには同じ要領で両手に 


 便秘 かならず左手だけ はる部位は、にぎり拳をつくって大きく盛り上がる中指根元の関節の頂上から手首方向へ降りる斜面の、やや人さし指寄りの位置を薬指側へ押してみると圧痛を覚える所があり、ひどい便秘ほど痛みが強い ここへ「銀」紙 つぎに中指の第2関節(指先から二つ目) から5ミリほど指先寄りに「金」紙 多くは翌朝には効果 頑固な便秘でもしばらく続けると解消


 のど 息苦しさ セキこみ 左右の手の、親指と人差し指の付け根の骨の間を手首寄り押してゆくと、二本の骨の分岐点に行き着く この位置からわずかに指先寄りに圧を加えながらもどると、親指の骨の内側の斜面()、人差し指の骨の内側の斜面()のそれぞれに、圧痛点がある その()に「銀」紙を、()に「金」紙をはるが、はるのは両手にではなく、押した時により強い圧痛のある方の手だけ 両手にはるのではない 


 肌膚の若返り はる位置は手背と薬指との二か所に金銀紙の一組を まず薬指の第1関節と第2関節との中央に金紙(4ミリ幅、16ミリ長)を横にはり、そこから手首へ寄った第2、第3関節の中央に同じ大きさの銀紙をはる これで薬指は終わり つぎに手の甲の小指と薬指の骨の間を手首方向へたどってミゾが終わる位置 ここへ8ミリ角の銀紙を 同じミゾを指先方向へたどって、握りこぶしを作った時に盛り上がる、小指と薬指の第3関節の間の、すこし手首寄りのミゾへ同じ大きさの金紙をはる 位置については図解も出ている 以上『はればすぐ効く金紙銀紙療法』(マキノ出版)より抜粋

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