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 行動文化 (52)小著『「バカの壁」に異議あり』が 流通を妨害されている理由(その7) 

 小著『「バカの壁」に異議あり』が

流通を妨害されている理由 (その7)


「話せばわかるは大ウソ」とキメつける前に、まず言葉をえらべ

 人とサルとの違いは「言葉」が使えるかどうかだが、自分は言葉を使いこなせていないと思っている者は、まあ、たぶんどこにもいない もし居たとしたらそれは、ソクラテス級の聖者である 正直に言って小論の記者自身も言葉を使いこなせている自信はない こんな雑文一篇にも、句読点の打ち方をふくめてなかなか校正が終了しない なぜか? 理由は正確を期すること以上に、そこにさまざまな「事情」や「都合」がからんでくるからである そのへんの実情は国会での質疑応答を見ていると、身につまされる 「イエス」と「ノ―」さえ、いざとなると「さて、どう答えたものか」となり、ウソも方便、「記憶にございません」と逃げたり、「ただいま記憶が甦りました」の茶番劇が展開される いま危険水域に入っているが民主党の菅総理など正直さにかけては立派なものだ 正直だから損もしている 国民はよくも悪くも自分たちに似合った首長をもつことになる ――話がそれた もとへ 『バカの壁』の「話せばわかる、は大ウソ」は科学者らしくもない詰めの甘い放言 さもなくば舌足らず 関西人に江戸弁はダメ フランス人は英語にはそっぽ向く 嬰児なら「ベロベロバー」か「オツムテンテン」しかない 通じないのはどっちの責任か 


 


「言葉」を否定するのなら本など出すな


だが英語の解らない日本人女性に、ネイティヴアメリカンの英語が通じてしまった例がある 昭和初期、京の日本旅館に泊まった米人が、仲居にヒゲそり用の湯を頼んだところ「水」をもって来られて「オ―、ユ―フ―ル」(お前バカか!) と怒鳴った するとこの仲居、「あ、お湯どすか」とすぐ湯と取り換えたのでこの米人、「? ?」 話せばわかる、どころか話さなくったってわかってしまった、これがその実例 以心伝心でさえない「勘違い」でもこんなふうに通じてしまうことがある のっけからの「話せばわかる、は大ウソ」はキャッチコピーとしてもいかにもあざとい これは執筆者自身による「言葉」の否定、天に唾するものである 言葉を否定するのなら本など出すなという言い分は「針小棒大の揚げ足取り」か?『バカの壁』の著者ご自身が今回の流通妨害に関与しているとは思っていないが、書店側の「取り寄せなら可能です」という言葉と、発売と同時の版元への返本の山をどう解釈すべきか? 書店側の「自粛」だったとしても、「反証」を歓迎される科学者には言行不一致の不名誉 また言論の支え手である出版社にとっても反社会的な自殺行為ではないのか?

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行動文化 (51) 小著『「バカの壁」に異議あり』が流通を妨害されている理由(6) 

すべては蓋然性の問題か?


『バカの壁』のP・28にそうある 


「すべては」と簡単に一括する 言葉尻をとらえて難癖をつけるようだが、立場上用語を問題にしないわけにはいかない すべては、とは「例外なく」ということだが、こんな不用意で多寡をくくったような言い方が、著者への不快感と、「確かな事は一つもないのか?」という無用な不安感や不信感の原因になっているのだと思う 


我々の日常には蓋然的な認識でよい場面もあるのは事実だが、確実で絶対的な認識と納得でなければならぬ場面もある それは科学者たちの世界の推論でこと足りるようなものではない 感性感情の深みにまで達した、骨髄に徹した納得でないとどうにもならぬ場面があるのだ  


社会生活上の「信義」の問題も人の全人格がかかる場面なのであって、我々の言動には常に責任と覚悟が要求されるのである 生き死にの問題だけでなく日常行動も、政治も、ビジネスも、すべてこれだ 「すべては蓋然性の問題」で片付けられる気楽さは、「反証されうる」、「推論」だけを取り扱っていればよい科学者たちの世界の話ならばともあれ行動論としては無責任すぎる、


 


「それじゃあ何も当てにならないじゃないか」というのは乱暴な話で、まったく科学的ではない (P・27)


おかしな言い方だ 科学的でなければならぬ理由など、どこにもない 科学的な視点や手法とは、数ある視点や手法の一つにすぎない 「科学的でない」という批判は科学者たちの世界での論争の場合に限られた方がよろしい この著者の発言の不用意さ、ペンをとる者の態度ではない 


 


確実なことなんか何一つ無いなどとは言っていない (P・27)


この本の論述を見るかぎり、そう言っているとしか思えない 人生の問題には正解はなく、とりあえずの答えしかないと明記されている その「とりあえずの答え」が出てくる思考経路が問題なのだが、「科学的思考」以外にはそれに相当する文言はどこにもなく、その科学的な態度自体もまたイデオロギーではないというのが著者の主張なのだ 著者の掲げる「常識」なるものも著者の場合、本人にしか通用しない生理的個性論であったり、「信義」や「節操」を視野に入れない人間流転論であったりするのだ 発言責任を問える執筆者ではない

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行動文化 (50)小著『「バカの壁」に異議あり』が流通を妨害されている理由(その5) 

  揚げ足取り? 小股すくい?
 
ことわっておくが、小生の武道行動学はスポーツ行動学ではない スポーツ芸能の価値観からの論評は、世界がちがうから本稿では採り上げない 小生の武道行動学は、ルールも「敗者復活戦」もない、「敗北」はそのまま「死」を意味する剣の行動論である 武道とは勝てる道理の追及 観客には奉仕しない  

だが、こんな言い方をすると、こんどはアナクロ(時代錯誤)だとくる 時代? 時代錯誤はどっちだ? 『人間通』の谷沢栄一氏は、世界は「謀略」と「恫喝」


を軸に動いていると言っている 反論は困難 これが真相だろう 


武道の本質は戦術と戦略である 日本は戦争を放棄したが、戦力を背景にする国家外交 (パワーポリティクス) の心得が無用になる日は、人の世がつづくかぎりおそらく永久にこない 水色のヴェールをまとった美女のような姿とは裏腹に、地球とは争いと戦いの星 薄幸の美女 

勝てる道理を追求してゆく過程で、せめて少しずつでも賢明になりたいが、戦いとなれば孫子をまつまでもなく「戦わずして勝つ」のがベスト しかしこの不戦論も内容はコスト論、つまり戦略論であって戦争放棄ではない ペンは文化の鋤? 小著への流通妨害には言葉の剣しかないようだ

 流通妨害は業界の自殺行為

御参考までに書いておく 小生、「小股すくい」や「揚げ足取り」は戦法としては用いない 君子のとらざるところ どうぞお間違えなく 小生返し技は使うが、返せるのは相手の位がひくく、手の内がよく見えるからである 


高い位置からなら視野はとれるが、低い位置からは高い位は見えぬ またおのれの弱点も見えない 彼を知らず己を知らずでは戦うたびに必ず敗れる  


精神の位どりの低い者は、言動もそれに見合ったものになる 小著では『バカの壁』の論理構成から文体、それもテニオハのレベルについてまで忌憚なく批判した 小論は『バカの壁』に対する学術上の反論であり、科学者の水平思考に対する東洋思想の垂直思考からの批判である 視野も侠く、掘り下げも浅かったら、自分ののど元に突きつけられている匕首の切っ先も見えはしない  

むろん科学者にも精神の位どりの高い人はおり、唯心論への真裏からの実証を敢行している量子力学の学者たちもいる だがペンに関わる出版人の言葉として、「揚げ足取り」、「小股すくい」との批判は、視点がひくすぎないか

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行動文化 (49)  武道と原発 

 ふきだしてしまった 原発の炉心溶融事故が発生し得る確率は一万年に一回、格納容器の破損事故など10万年に一回の確率と算出されていたという 人類が地上から消えても原発は残るという計算だ リスク管理が聞いてあきれる

いったいどこの誰が、何を基準にはじき出した数字なのか、参考までに聞いておきたいが、剣の立場から見てこれほど間の抜けた計算はない 


どこかの教育委員会が配布したパンフレットに「あなたは自分が好きですか? 自分を大好きでないと他人にはやさしくできませんよ」とあったことを思い出した 


この10万年に一回の確率の先生、たぶん自分大好きの、他人にやさしい先生なんだろう 長生きはまちがいない 結構な話だ こんなのを古来「希望的観測」と呼ぶ それを剣に一番遠い考え方だというのは、こんな希望観測が通用しないこと、剣よりも甚だしきはないからである 


剣が相手にするのはモノではなくて「人」だが、その「人」の中でも一番始末の悪い「敵」を剣では相手にする こっちに都合があるように、向こうさんにも都合がある 都合と都合が切り結んで強い方が勝つ 希望観測など通用しない だから武道を教育に活用すれば、ピンチに強い、危険に対する感度のいい、原発にはもってこいの、本当に「生きた」人間を育て上げることができる 


 


居着き


武道を学んでいながら「居付き」を知らぬ者はいないと思うが、これは一般にはあまり知られていない武道の専門語である


体勢にせよ、意図にせよ、特定の形に固まってしまう事を「居着く」という 


自然体とは、「居着き」のない姿のことであって、宮本武蔵などは「構えはあって無いようなもの 太刀構えとは要するにその相手を斬りよいように持つまでのことだ」と言っている だから頭の固い東大組は剣を学ぶべきだ


学校教育に武道を採用する機運が高まっているが、学校武道を選手育成にしてしまってはいけない 子供たちに「居付く」ことの危険を教えられれば、これ以上の武道教育はない 一例をあげよう


かなり前のことだが、「校門圧死事故」というのがあった 遅刻して校門内に駆け込もうとする生徒を、入らせまいとする教師が仕切りの鐡柵ではさんで殺してしまった事件である 生徒は「駆け込もう」という思いに居着き、教師は柵を閉ざそうという思いに居着いた ブレーキがきかなかった 


遅れた生徒は、駆け入るのでなく遅刻したことを詫び、教師は言葉でたしなめる、それが「人」のふるまいである 双方とも「人」ではなくなっていた

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お知らせ 

 5月より毎週月曜日にコラムのアップをします。 H.23.5

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行動文化 (48)  「想定外」  

 原発はバクチではない

「判事」とは時代の良識のはずだが、調べてみると、これまでの原発関連の訴訟で彼らが示した判断とは、北陸の滋賀原発も、福井の「もんじゅ」も、愛媛の伊方原発も、北海道の泊原発も、みんな判で押したように、「安全性に問題はない」というものである これらの中で金沢地裁の井戸謙一判事の、稼働中の原発の「運転差し止め」の判決が光っている 全国で唯一の例だという


日本は法治国である 法が拠点としている社会正義とは社会通念、「公序良俗」であるという とくに異論はないが民主主義の運営原理は多数決 金沢の井戸判事の判断は少数意見だが諸兄姉、いずれに与せられるか?


 


失敗責任の追及に対しては、「想定外」という護身術の型がある事を教えてくれた、原子力安全委員長()である東大教授斑目春樹氏は、リスクを考えていたら、モノなんてつくれない どこかで割りきるのだと発言している 


子供のジャンケンポンではない 人の命と、国の命運がかかっているのである それを割り切るのはお見事だが、一つだけ伺いたい その割り切りとは、裏目に出たときはご自身の腹を割る「割腹」につながる性質のものか? 


あるいはそれも「想定外」ということなのか? 


太平洋作戦がこれだった


はじめから勝ち目はなかった 国が育てた戦闘の駿英たちが、バクチに等しい勝負で国を滅ぼした 記者を合気道へ導いてくれた島田和繁さん(三島由紀夫と学習院が同期) は、南方作戦からの帰国後、生き残った将官連中に、腹の切り方を教えて歩いた


 


こわいことや、あぶないことは、してはいけません


小学校の子供たちに、勝負のしかたを教えておきます あぶないことや、こわいことは、してはいけません 合気道をはじめた植芝先生は、「戦ってから勝つのではない まず勝ってから戦うのじゃ」と教えました


「こわい」のは、よわいのではなく、あたまがいいということです こわいことがわからないのは、強いのではなくてバカということです


バカではケンカには勝てません なぐって勝つよりも、なぐりも蹴りもせずに、言葉で勝つのが頭のいい子です 言葉でケンカするよりも、ナカヨシになってしまうのが、もっとあたまのいい子です 人をなぐったり、けったりする事しか知らないのが、本物のバカです よわい子をいじめるのは卑怯者 走ったり跳んだりすることはウマやカエルにまかせて、本を読みましょうね

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