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行動文化 (47) 蒋介石の人格・蒋介石 周恩来 田中角栄 

 蒋介石の人格  小論の(44)で、暴風の海を小舟で台湾へ渡って蒋介石の恩義に報いた根本中将の事を書いたら、数人から反論があった 

台湾の228白色テロ事件を知らんのか? 知ってるよ 気持ちはわかるが、小生が興味を持ったのは根本中将の行動だよ 蒋介石の人柄にはとくに関心はない どうでもいいことだ 


蒋介石についてはその思想も行動も論評の限りではないが、一言だけいっておけば蒋介石は軍人 武芸者を含めて軍人とは修羅界の生き物だよ 道徳家でもなけりゃ説教坊主でもない その点では小生も同じことだ


古来、戦場とは書斎でも社交場でもない 手にするのは人を殺す道具 「勝つ」事だけが意味をもつ、腹黒い謀略と血なまぐさい殺し合いの場だ  


しかしその戦場にも可憐な野バラが咲くように、まれに友情の涼風がたつことがある 男の涼しさというやつ (44)ではその一例をあげたまで 


蒋介石 周恩来 田中角栄


過去の日中国交回復交渉の場に、「蒋介石」の名が登場するが御存じか


周恩来はこの席で田中首相(当時)に対して、賠償要求権の放棄」を申し出た 


これは先方としては精いっぱいの誠意と譲歩だった 周恩来はこの賠償要求権放棄を中国人民に納得させるために、かなりの無理をしていた


その努力に感謝するでもなく田中さん、「あ、その件ならもう蒋介石氏との間で了承済み」と応じた 周恩来は明らかに鼻白んだが外交音痴の日本側には通じない この交渉は徹底してひどい交渉だった  

この席でまず田中さんは「過去には多大の御迷惑を」と切り出したが、この「御迷惑」を中国側の通訳が「麻煩(マーファン) と中国側に伝えた 事前の打ち合わせもしていない 「麻煩」とは、日本語では「お手数かけました」といった程度のごく軽い謝罪である この時の周氏の表情をテレビカメラが捉えている キッとした目で田中さんを見た 今も目に焼き付いている その次が「蒋介石」という順だが、おりしも蒋介石と周恩来は「一つの中国」路線で対立中 「その件なら蒋さんとの間で了承済み」はなかろう これだけで決裂ものだが、別れに際して田中さん、よせばいいのに周氏へ、「国交途絶幾星霜」云々の、漢詩のつもりの無学丸出しの駄文を献じた これに対する周氏の答礼が、「言必信行必果」の六文字 これは日本総理への揶揄である 「言葉は誠実、行動は果断」一見ホメ言葉のようだが、論語にはこの後へ「硜硜然小人哉」(石頭の三流人)と続く 底意は、(わかるかな? わかんねえだろうな お前さんにはこの揶揄は通じまい) 周恩来、にこやかにこれを手渡した やんぬるかな田中角栄 無残なり日本総理 周恩来の言葉の毒に、最後まで気がついていない
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行動文化 (46)  ヘソまがり 

 みんながどうするか

民族性をからかうのに、欧州にこんな小話がある 知ってる者は知ってるが、知らぬ者は知らない (あたりまえだが)  はじめて聞く人のために、もう一度おさらいしておく


客船が遭難した 定員超過 救命ボートが沈みそうだ 一人降ろさなければならないが、海に飛び込ませるにはコツがある 


相手がイギリスの男なら、「あなたは紳士ですか?」と言え 


ドイツの男なら、「命令だ! 飛びこめ!」で、すぐ飛び込む 


イタリ―男なら、「飛び込むな!」と言えば必ず飛び込む 


アメリカ男なら、「生命保険は大丈夫!」で安心して飛び込む


相手が日本人なら、ただ一言、「みなさん飛び込んでますよ!」で片付く


笑ってるが、大丈夫かな?  


かなり毒のあるジョークだが、さて野中日文はこの中のどれか? 


あいつヘソマガリだから「飛び込むな!」だろう? はずれ それで飛びこむようならヘソマガリではない 「あいつ、飛び込むなといえば必ず飛び込むぞ」と思ってる連中の前でむざむざ飛び込んでたまるか 教えて進ぜよう それがヘソ曲がりの本性である  


ヘソマガリは他人の期待へは奉仕しない こんな場面では「謙譲の美徳」で、「お先にどうぞ」と退く 残念でした 以下がヘソマガリの行動律である


ヘソマガリは、ホメラレ者にはなりたくない


ヘソマガリは、金メダルも勲章も銅像もいらない まにあってる


ヘソマガリは、「チョイ悪」などでモテようとは思わない


ヘソマガリは、「ふれあい」の場へは行きたくない


ヘソマガリは、お愛想は口にしない 時代に文句はつけるが説教は垂れない


   ヘソマガリは、「輝きたい」とも、「キラリと光りたい」とも、「凛として生きたい」とも思わない 
小生、小さいころは素直な可愛い子だった これは本人がいうのだから間違いない その素直で可愛いかった小生がどうしてこんなヘソマガリになったか 学校教育の成果だ 敗戦での「教科書の墨塗り」でヘソが横を向いた 教師を信用しなくなった 孤立したが望むところだ 仲間外し賛成 静かでいいや 本が読める 小学生のころから論語、孟子、夏目漱石で一人で遊んでいた まわりの連中がみんなバカにみえた だがケンカは弱いと見破られ、中学生になっても小学生からいじめられ、女の子たちからもバカにされた それで武道 ケンカ術を学んでいまに至る 小生、「人格完成」など目指さない 人格はすでに一匹のヘソマガリとして完成している


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行動文化 (45)  常在戦場 

  物事を勝負の図式で考える姿勢には問題が多い よく心得ている まず貧相でいけない みすぼらしい 人生を貧しくする 

記者は、人も、物も、風光も、美しいものが好きだ 贅沢も好きだ 書も絵も記者なりの美の追求である 


人を斬ったり投げたりの動きも追究してきたが、これはただひたすらに「強く」なりたかった子供のころの延長 その自省もあって最近は人生をもっと豊かで、潤いのあるものにしたいと痛感している 


だが現実は、古人が言ったようにこの世は火宅だ いつ何が起きるかわからない 今回の地震と津波、原発事故を何人が予測し得ただろうか 問題が多い事を承知でいま、人生を「戦場」に見立てている  


 


「想定外」は幼児語 「生きる力の教育」が教育課題の一つに挙げられてかなりの時が過ぎたが、今回の災害の関係者に聞かされる「想定外」とか「対処能力の限界」いう言葉の多さは何を物語るのか?


この二つの言葉は一種の幼児語である おとなは使わない こんな連中が八岐大蛇や九頭の龍にも似た原発を管理しようというのである 無理だ


孫子は戦いの鉄則として、「彼を知り、我を知る」を挙げる 原発を作りたい連中は、彼を知らず我を知らない 知ろうともしない そんな事を言っていたら何もできないなどという そんな者たちが戦えばどうなるか 考えるまでもない事だ 戦うたびに必ず敗れる 今回の事故の原因になっているのは設計ミス、管理ミスをふくめてその大半がごくごく初歩的なミスだ 


孫子は 「悲しみは喜びに変わる日もくる しかし人は死ねば生き返らない 亡びた国も甦らない 兵は国の大事 死生の地、存亡の道、察せざるべからず」


とみずからの兵書の劈頭に掲げている 


海岸の町とは死地 原発は九頭龍である いまの学校教育が「知育」を偏重しているのであれば孫子のいう「死生の地」や「存亡の道」が見えないのはおかしい 言いにくいが、平成の学校には「知育」はないと結論せざるをえない  


津波も、原発も、そのまま個人と国家の存亡に直結する問題である 「不測の事態」などとは言わせない なんのための最高学府での勉学なのか? 人とは「知」の生き物 走ったり、跳んだり、泳いだりの力はそこそこにあればよい 先生方にはどうか「生きる力」に直結する知育を頼みたい その生きる力に直結する教育が、孫子のいう「彼を知り、我を知る」ことを学ばせる教育である 武道こそはその最先端にいる身近な行動学なのだが、みずからを金メダル狙いの「アスリート」と位置づけて喜んでいる

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行動文化 (44)君命にも従わざるところあり ・「恨み」に対して「徳」で酬いた蒋介石 

 君命にも従わざるところあり 
            
――根本中将の中国撤収作戦  

敗戦余話として、つぎのような事があった 


 太平洋戦が集結して四年目の春、沖縄付近の海上で台風のために航行不能になって木の葉のように荒波に翻弄されている小舟(38トンの発動機船) があった


米軍が救助して、中にいた三人の男の身元を調べたところ、旧日本軍の陸軍中将根本博と、その部下であった二人であると名乗った 台湾へ向かう途中だという 目的を問うと、中国戦線で中国国民党の蒋介石から受けた恩義に酬いるため、その軍事行動を支援するのだと、根本となのる男は答えた これを聞いた米軍は、礼をつくして三人を台湾に送り届けた 志士として遇したわけだ 


 台湾へ渡った根本は直ちに国府軍の作戦指導にあたり、アモイ(厦門)に残存する国府軍をあざやかな手並みで台湾へ撤収、金門の共産軍三万を撃破して八千五百の捕虜を確保、体得する兵術のすべてを台湾防衛戦略に傾注して、期待にたがわぬ働きをみせ、昭和二十七年、郷里の都下鶴川村へもどった


 過去の中国事変では、日本軍と蒋介石との間には、たがいに干戈を交える敵対関係にありながらソ連(現ロシア)、欧米によるアジア支配の排除という共通の目的があった


 「恨み」に対して「徳」で酬いた蒋介石


司馬遼太郎氏は、昭和史は自分には書けない、書こうとすると発狂しそうになると言っていた 


 日中戦争という言い方があるが、本質は欧米のアジア支配との戦いである だがこの戦いで根本中将のとった行動はみごとだ この人は軍人にありがち


な官僚的な石頭ではない 孫子に「君命にも従わざるところあり」の句がある この句を地で行ったのが根本中将である 日本がポツダム宣言を受諾し、最


前線にいて戦闘中止命令を受けた後のこの人の判断と行動にそれを感じる 


 駐蒙軍司令官の根本は、停戦協定を無視して長城方面から侵攻してきたソ連


軍を迎え討ち、北支地域をソ連軍の蹂躙から護った上で、指揮下の日本軍を無


傷のままで蒋介石の国府軍に投降させている 敵将に部下の処遇を任せたわけ


だが、この措置のために根本麾下の日本軍将兵は、名目上はともあれ虜囚の辱


めを受けることなく、生きて家族のまつ祖国の土を踏むことができた 自決な


どさせていない いま蒋介石といってもわかる人はほとんどいないが、この人


は太平洋戦の終戦処理に際して、「報復は君徳をそこなう 恨みに酬いるのに徳


を以てしようではないか」と、日本への賠償要求権放棄を発表した人物である 我々はこの事をけっして忘れない

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行動文化 (震災 9)  親孝行も仲直りも、やりなおせる 

 あの世へのリモートヒーリング

 記者には、ツネという祖母がいる お婆ちゃん子は三文安いというが、記者はその三文安いお婆ちゃん子である マザコンならぬババコン


祖母は記者が三つのころ、紬地の袷と羽織を、手縫いで作って着せてくれた人 遠い山畑に桑を植え、蚕を飼い、糸をつむぎ、染め、織り、ひと針ひと針縫って仕立ててくれた着物だった 高校を終えて関東にいる時に世を去った 胃癌だったようだが、死ぬ時は記者の名を呼び続けたと聞かされた


関東を引き揚げてしばらくしてから、気持ちの悪い夢を続けて三度みた 


まず、全身無残に崩れかけた老婆が谷間からよろよろと現われて、記者の方へ寄ってくる 正視するに堪えない姿 凶霊! 気合いをかけて追い払った


数日後に、また現われた これも同様に追い払った 数日たって、また現われた これも気合で祓ったが、祓ったあとで、あ! あれはおツネ婆ちゃんじゃないか!? 何度も出てくるのは記者に何とかしてもらいたいのではないか!? 祓っちゃいかん! こんな姿になった理由については、ここには書けないが思い当たる事はある が、ともあれ天が与えた報恩の時だ  


記者はこの婆ちゃんに、吹き出物などによく効く一子相伝の呪術を伝えられている あれで何とかしてもらいたいのだ! そういう事だったのか! 


すぐとりかかった 祖母の施療は大半が一回限りのものだったが、三週間ほど続けたかと思う おツネ婆ちゃんが、明け方の夢に現われた きちんと着物を着て、きれいな姿をしている 「おかげで、きれいな体になれた ありがとよ」と言った 一週間ほどへて、もう一度現われた 黒光りする松の床板の上に、裸でこちらに背を向けて、肘枕で寝ている 雪のように白い、美しい肌になっている 「こんな体になったぞ」と、見せにきたのだ 


のちにいささか呪術を体得して、遠隔医療も多少はできるようになっているが、しかしこの世からあの世へのリモートヒーリングについてはまだ見聞していない 以上がその稀な実例だろう 


記者の場合、遠隔医療には他人から受けた怨念がヒントになっている 体験すればわかるが、サ―ッと冷たい風がくることもあり、キリキリと針の先で刺されるようだったり、あるいはズ―ンとした重圧感だったりする 発信者はおおむね見当がつくからそのまま相手へ送り返すが、まともに受けたらやられてしまう ここでアッ!と気付いた 呪詛は、受信者だけでなく発信者も命を縮める という事は、これを逆に使えば人を救うということ 人は死後も「風」にも「星」にもならない 時空の枠から解き放たれて、たえず交信しあっている 「死」は別れを意味しない 仲直りも親孝行も謝罪もやり直しがきくのだ

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行動文化 (震災 8)  「祈り」は通じている 

 夢の中での曾祖母との会話

 記者に「お菊」という曾祖母がいる 時代が違うから逢ったことはないが、「美人」で近郷近在に知られていたという こんな話がのこっている


ある日、隣村の人たちが前の道を通りながら、「今日は美人のお菊さんなおんなさらんごたる」(今日は美人のお菊さんはいらっしゃらないようだ) というのを、石垣の上の菜園で聴いた曾祖母、出ていって「ここにおりますよ」と言ったというのだ ひと口話として今に伝わっている


この美人のお菊婆ちゃん、墓石の戒名には「釈妙艶信女」とある 子供のころは何も思わなかったが、これは戒名にはなっていない 戒名に「妙艶」はなかろう 旦那寺の和尚も和尚だが、しかし相手は「ここにおりますよ」のお菊婆ちゃんだ 案外ご本人は今も気に入っているのかもしれない


で、このお菊婆ちゃんが、秋の彼岸の記者の夢に現われた 白くなりかけた髪をきれいな丸髷に結い、質素ではあるが縞の着物をきちんと着こなして白足袋をはき、改造前の記者の生家の、土間に面した上りがまちに腰をおろして記者の左側にいる 顔立ちはやや頬骨は高いが色の白い、まあ田舎では美人で通る容姿 初対面だが「お菊婆ちゃんだ」と直感した 横顔を見ながら、「お婆ちゃん 十八娘のころはどんなふうだったのかなあ」と訊いてみた 婆ちゃんはこの質問に微笑しながら、遠くを見るような目をした


 


「祈り」は通じている


そこへ、病院にいる父が怒鳴っている声が聞こえる 4キロほど離れた病院にいる父だが、距離は感じない 「今日は彼岸の入りじゃが、彼岸のためにと思うてとっておいたお供えを、来客があって使うてしもうた お前、なにか適当にみつくろって、お供えをしておけ!」 そう大声で怒鳴っている それを左隣にいるお菊婆ちゃんが聴いて、「今日はもう日が傾いた、明日でいい」という 


時空を超えた父と曾祖母の姿と声 この世とは仮空の幻影 夢の世界こそが実在と考えれば辻褄が合う 婆ちゃんが明日にしろというので、指示に従って翌日墓参をすませ、その足で父を見舞った 夢の事を告げると、こんな話の大好きな父は、「それはお菊婆さんに間違いない 昨日は墓参りの事ばかり考えておった」という この事があって、墓参りや日常の先祖供養がけっして形だけのものではない事を思い知った 香も、華も、献茶もしっかりと先祖方へは届いているのである このほかには、曾々祖母の「お稲」婆ちゃんとも逢い、没後の父母とも何度か逢っているが、どういうわけか祖父とは出会っていない 記者の誕生を人一倍喜んでくれた祖父なのだが――たぶんもう地上にはいない

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行動文化 (震災 7)  泣かずにいましょう 

 人は死んでも「風」にも「星」にもならない

町を歩いていて、葬儀屋の店先に「千の風」の看板を見かけた 葬儀に「千の風」をどうぞ、というわけだ 千の風、支持者も多いが批判意見もつよい この歌い手、発声に独特の色合いをもっている この歌手の存在を知ったのは、「ミホロ峠」というラジオから流れてくる歌がきっかけである 


不器用だが、まっすぐな声だと思った で、評判の高い「千の風」を聴いてみた 子供だましのバカバカしい歌だ ミホロ峠のイメージがふっとんだ


歌詞が問題 私のお墓の前で泣かないでください? そもそも日本人は、テメエの墓を「お墓」などとは言わない 「私はお墓の中にはいません」はその通りだろうが、だからといって「風」になんかなるものか 風にもお星さまにもなりゃあしないよ 人はいつも人でいる 死んだ後も 


この歌のフアンたちには、「風」も「星」もそれが埒もないメルヒェンにすぎないことは知っている 彼女たち、この声の響きとつきあっていたいのだ また葬儀屋も歌の良し悪しはともあれ 商売になりさえすればそれでいい 


人は死んでも風にもお星様にもならない その事を小生は知っている 信じているのではない 「知って」いるのである 


 


死後に現われた叔父


人は死んだ後もやはり人である 肉体を持っていたとき以上に「本人」である 人は肉体ではない 霊だ 「死」とは肉体という霊魂の容れ物を脱ぐだけの事である 人とは物質ではない もっと精妙な、自由自在な体をもっている


小生に、気の合う叔父がいた 刀と蘭が好きだった 短気なことも、神経の細いことも、話好きな部分も、小生によく似ていた


この叔父が死後に、明け方の記者の枕元に現われた 寝ている記者に「おい」という え? あ、おじさん! 「呼べば通ずるぞ」 そう言って、いなくなった 夜が明けるのを待ちかねて、叔母に電話した 「昨日は、叔父さんの命日でしたかねえ」 「どうしたの、急に、こんなに早く――」 「今朝、叔父さんがきました 昨日が命日じゃなかったかと思って」 叔母は急に黙り込んだ  


しばらく黙っていたが、「命日までまだ10日あるけどね、じつは、昨日が子供たちが集まるのに都合がよかったので、お寺からも来てもらって命日の法要をしたの」 死んだ後も、呼べば通じる その事を叔父は伝えにきてくれた 叔父は風にも星にもなってはいない 「千の風」のおとぎ話よりも確かな話です 


別れは誰も悲しくて、つらい が、いなくなったわけではない 霊の世界では、その人を「想っている時」は「逢っている時」です 泣かずにいましょう

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行動文化 (震災6)  人間にはまだ原子力は使いこなせない 

 対処能力  今回の原発事故に対する一連の作業についての、原子力安全委員長の「対処能力を超えた」という発言がネットニュースに出ている 

人間には、まだ原子力は使いこなせない 原発事故とは原子力の問題ではなく、関係者たちの自己管理能力の問題である 今回の事故をめぐってお歴々がどんな発言をし、どんな動き方をしたかについては、電波や新聞よりも週刊各誌が克明に報じている 中でも特に週刊文春(47日号)は一読をすすめる


なるほど原発の管理は人間の「対処能力」を超える 


なぜ人間は原子力を使いこなせないのか? 理由は精神構造にある 具体的


に言えば、現代の日本人は一人でいる時は「心配」ができるが、複数になると当事者意識がどこかへ行ってしまう 事が起きると責任者までが「予測不可能」だの「対処能力」だのと他人事のような言い方をする そして自分は安全地帯を一歩も動かない 原子力とはそんな人間たちに使いこなせるようなおとなしいエネルギーではない 制御棒が必要なのは、原発ではなく人間の方だ


 
 
確率はつねに100


航空会社に「墜落の確率」を訊いてイヤな顔をされたことがある 


航空会社にとっては意味のある「確率」なんだろうが、乗客には確率なんか関係ない 無意味とまでは言わないが、いったん空に浮かんでしまえば落ちるにせよ落ちないにせよソロバンずくの話ではなくなる 「確率」自体が局外者の一般論なのである 当事者思考ではない 百年に一度? 今日がその日でないという保証はどこにもない 50%の墜落率で考えてみようか そんな飛行機に乗る奴はいない? 戦時にはごく普通のことだった 50%とは半分の可能性ということだが、実際に起こるのは半分落ちて半分は落ちずに浮かんでいるということではない 「落ちる」か「落ちない」かのどっちかなのだ つまり百年に一度だろうと十年に一度だろうと関係ない ということは、落ちる落ちないのいずれにしろ100%という事なのだ 「これがホントの機上の空論」などと洒落てなんかいられない 


そもそも、物にせよ人にせよ重量のあるでかい物が空中に浮かんでいるという事自体がけしからん姿である 落ちてあたりまえ 落ちないことの方が多いからみんなあまり怖がらないが、津波では「まさか」の想定で大勢が死んだ 


原発事故では「対処能力」のない人物が安全委員長に就任し、消防庁の救助機動隊員たちは地図も航空写真も放射線測定器も持たされずに現場へ放り込まれた ここへきてあらためて原発の存続撤廃を再検討するという 問題は原発ではない 人だ 人の思考能力だ 文科省!「当事者思考」に頭を切り替えろ!

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