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行動文化(43) 閑話(2) 杜牧春愁図 ・ 

 閑話(2) 杜牧春愁図

春愁、という言葉がある 柳翠花紅の眺めが感傷を誘うことがある 春愁は女の子のものだと思い込んでる奴がいるが、そんなこたないぜ 人間トシとると別れもふえる 小生もいま、桜吹雪の中にたたずんで、ひとり春愁にうち沈んでおる ――いや、これはまじめな話なのだ (わざわざ断らにゃならんところが手間がかかる)  小生、晩唐の杜牧の作品の中でもとくにこの「清明」がすきでな 雨の中で牧童をつかまえて飲み屋の所在を訊いている杜牧を、おのれの姿に置きかえることがある 


 杜牧 字は牧之 京兆の人 才子傳に曰く 杜牧ハ性剛直 奇節アリ と また曰く、容姿美シク、歌舞ヲ好ム どうだ小生に似ていると思わないか なに? 思わない? つぎへ進む 風流ヲ愛シ、細行ヲ省ミズ (ますます嬉しいではないか) 往々事ニ触レテハ国家ノ大事ヲ論ジ、利害ヲ指摘スルコト甚ダ切実―― しかしながら、「頽蕩放縦ノ一面ヲ有シタ」ともある 小生が杜牧をわが兄貴と思っている理由がこれでわかったろ


 さて、この杜牧先輩、若かりしころ湖州に遊び、一人の美少女を発見 その


母親に多額の金を渡し、十年後この地に太守として帰ってきた時、この娘を妻


に迎えたい もし戻らぬ時はどこへでも嫁にやれと言い残して別れた その後


諸州の刺史を歴任しつつようやく湖州への帰還をはたしたが、いかんせん、す


でに十四年が過ぎており、かの娘は三年前に他へ嫁ぎ、三人の子を叱りとばす


肝っ玉母さんとなっていた 杜牧先輩、すっかり無常を観じた この世には神


も仏もないものか で、七言律を賦して慨嘆 曰く、


 自是尋春去較遅 不須憫悵怨芳時 狂風落尽深紅色 緑葉成蔭子満枝


 例によって拙訳を試みる


 ノチハニョウボトマタセテオイテ オトコミガクニチトテマドッタ


   モトノスガタヲノゾミハセヌガ ナムサン ゴニンノコモチトハ    


 小生の推測によれば、杜牧先輩が清明の雨の中をさまよったのはこのあとだ 酒でも飲まんことにはやるせないではないか すなわち杜牧先輩春愁の図


どれ、小生もタクアン漬けのしっぽか何かで一杯やるとするか ▲▲


 以上 タクアンのシッポが肴の茶碗酒の相手をさせてしまって悪かったが、本邦の唐詩フアンには杜牧のこの「清明」はよく知られる作品で、とくに末尾の「牧童遥かに指さす杏花の村」は文句なしに情感に響いてくるらしく、水墨の書画の画題としてよく使われる 書画といっても柳翠花紅は南画の世界だが、唐詩の世界は陶淵明の作品の例にも見られるように、すでに日本人の感性や美意識の中に深く浸透している 美意識の世界では日中は同胞 じゃあな また


 

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行動文化 (震災5)  人知の及ばないもの? 

 「聡明」とは

「人知の及ばない一線で生と死とが分けられた」、という声がある 今回の行方不明の人たちには、半世紀まえのチリ地震津波を免れた地域に住んでいた高齢者が多いというのだ おそらく「ここは安全」という思いが足かせになって、波にのまれた 


おなじ事は誰の身にも起きる 人知には限りがある? その通りだろう


だが、すべてを見通す事はできなくても、万物の霊長とされる我々人間、一隅


を挙げて残る三隅を類推することは不可能ではない


 頭がいいことを「聡明」という 


聡明の聡とは他人の言葉をよく聴くこと 明とは相手をよく見ること 一人の知能には限りがあっても三人寄れば文殊の知恵 「聡明」も、「虚心坦懐」も、これらみんな、その「人知」なんだがねえ ところがこれがじつに難しい 


火は水と相性が悪い これが「水火相剋の理」 火は水で消せる 水は低い方へ向かう 火は山を登るが、津波は河口から侵入する  水と火との動き方をみてこの原理を悟るのも人知なのだが――


 


火の管理


人類は原子の存在を知り、その火力を利用しようとした


今回の原発事故とは、「火」の管理ミスである 


人知が及ばなかったわけではない だが、その「火の管理ミス」は管理者たち


自身の「自己管理ミス」なのだ 彼らの言動を見ていると、いくつかの共通点がある 結論先行 面倒だから他人の意見に耳を貸さない 次に責任意識の欠落 その発言には当事者意識が感じられない 他人事のような口の利き方をする つぎ、陣頭指揮をとらない だから、「○○と聞いております」、「報告には△△とございます」 というコメントの出し方になる 次はたぶん自己弁護だ


学校教育の優等生とはペーパーテストの点取り虫 紙と文字は相手にできる


が「人」は相手にできない つまり口の利き方を知らない 以前、「女は子を産む器械」と発言して女性たちにとっちめられた閣僚がいた 仕方ない 女房殿は、「あの人、学校の勉強はできたけど人間がバカなのよ」と亭主弁護をしていたが、たぶんあの夜は、家に帰っても夕食は用意してもらえなかったはずだ


ペーパーテストの達人とバカとはどんな相互関係にあるか


ペーパーテストの達人は「文字」は相手にできるが「人」は相手にできない


なぜか? 人は「感情」というものを持っている こんな言い方をしたら相


手はこう反応するという事は、彼らの辞書には書いてない バカになる

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行動文化 (震災4) 希望的観測   

 想定外? 三陸沖地震が起きるであろうことは国土交通省から発表ずみだった 津波の高さの想定は、1960年のチリ地震津波を基準にしてあった 「これほどの津波は誰も想定していなかった」と新聞にはある おそらく、多分、まさか――その「まさか」にやられた これを古来「希望的観測」と呼ぶ

想定外? 65mと想定しても、想定はあくまでもこっちの勝手な「想定」にすぎない 確約でも確定でもない 相手のあることなのだ 津波の側が住民の想定した65mに合わせてくれることはない 


敵が攻めてこないだろう事を前提にした布陣は布陣ではない 小学生にでもわかる理の当然だが、解っていて行動が伴わない 体の成長に智慧の成長が追いつかず、津波にのみ込まれた 大学に「行動学」の講座をつくりたい 


壊滅した町をどうする? 捨てるか? 都市型の人間ならともあれ、地方人には先祖伝来の土地とは「墳墓の地」 まして高齢者には―― 


ならば「復興」? 復興はいいが、同じ場所への復興は無謀 


差し出がましいが、山を台地に造成して、インフラごと引きずって移動してはどうか 小生なら新しい土地に菜園つきの小屋、二畳ほどもあれば十分、古材を集めて自分で建てる 古材が味わいがあって面白い 半世紀前みんな焼け跡にそうした 経費は0 子供たちは遊びの天才である 非日常を面白がる 子供たちには自分用の小屋をつくらせる 喜ぶぞ


 


何が正しいのかは誰にもわからない?


地域ごとに防災組織があり、津波がきた時はどんな順序でどう行動するという手順もきまっていた だがいざとなると手順通りには動けないという それは解るが、しかし「何が正しいかは誰にも解らない」は結論の出し急ぎだろう 訓練と実地では心理状態がちがう だからこその事前の計画なのだ


非常時の動き方を考えておく事は間違ってはいない 立場を忘れないことも正しい しかしもっと正しいのは「君子危うきに近寄らず」 危険区域には住まないことである さらに正しいのは、この種のことは「知っている」という事と「行動」はそれぞれ別問題という認識である 知っていたって出来なけりゃ無意味 こんな部分は武道と同じだ ただ「知っている」だけ、古来これを「屁のつっぱりにもならん」という 屁じゃダメだ まして何が正しいのかがワカランのでは訓練はおろか計画さえ立てられない 価値観の整理が必要 である 防潮堤は高い方がいいといっても、刑務所の塀じゃないんだから10m以上の高さは景観を妨げるという意見について 人命と景観では「人命」が先で「景観」が後 こう考えるのが正しい 死んでは元も子もない

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行動文化  (震災3) ことばのいのち  

 ことだま」のひびき

大津波に襲われ、救出の手が届かず孤立している人たちに呼びかける声々を、ラジオが伝えている。


様子から察して知名士の言葉ではない つつましく生きている市井の人たちなのであろう 飾らない、しかも胸をうつ響き方をする言葉だ


人間とはかくも心やさしい生き物だったのか たとえば、


 


☆「こんなとき、どういえばいいのか、ことばがみつかりません しんぱいでしんぱいでたまりません とんでいってそこにいっしょにいたいのですがうごけません だけどきもちはいつもあなたがたといっしょにそこにいます――」


 


☆「あなた方の、必死に耐えていらっしゃるお姿に、私たちの方こそが勇気づけられております どうか、どうか――」


 


☆「ボク マダチッチャイカラソコヘイケマセン オコヅカイヲハコノナカニイレマス ツカッテクダサイ」


 


 こんな言葉、どこをつっついても、とても小生の指先からは打ち出せない


 創作文藝、評論を問わず、物書きにとって文章とは商品 いくら気をつけたつもりでも商品には商品の匂いがする 匂いを消そうとすれば、それが作意になって、また匂う


こんな部分について一般的にいえることは、賢いのは執筆者よりも読者の方なのであって、我々にできる事はせいぜいが退屈せずに読んでもらえるための小細工にすぎない 小生、ペンを手にしたのは七つのころだが、文章というものの難しさを思い知ったのは、高校に入ってからだ はじめてラブレターというものを書いた いや、いま思えばただの「恋愛ごっこ」なんだが、あのころ仲間たちにはみんなそれぞれにガールフレンドがいた 小生にはいない カッコつきゃしない 誰かいないか、まわりを見渡して、ま、あいつぐらいでいいんじゃねえか ひどい話だが、それでラブレター ところがこいつが難物 便箋三冊使ってもダメ おまけに、「ま、あのあたりで」という事だったはずが、レターに取り組んでいるうち本気になってしまった で、レターは出したのか? 出せなかった ポストの前までは行ったが、投函できなかった だから小生の場合、このレターが物書きの入門だったわけだが、その小生が、言葉を伝える能力においてペンを持ちつけていない人たちに、はるかにおよばない 物書きのつもりでいるうち図に乗って饒舌になってしまったという事か

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行動文化 (震災2)  人を支えているもの 

 人生とは、一杯の酒と、悪友の毒舌

人にとって環境とは自然環境ではない 庭先に遊んでいるニワトリや子猫、ともに働き春景色を楽しむ仲間たち、帰りを待っている子供たちや馬、子ヤギ、若鮎の塩焼きを肴に酒を酌み交わす悪友の毒舌である


津波にさらわれ、土芥にまみれて散乱する調度類、人形、ペットボトルなどのそばに一人、裸足でうずくまって泣いている女性の写真が紙面に出ている 


古来、天地とは非情のものではあるが、春は薄紫の山並みを背に菜の花が咲き、ヒバリがさえずり、川の土手を満開の桜が彩る だが、春を迎えて花の蓆を心待ちにしている、名もなく貧しく、仲むつまじい家族たちの日常を、一瞬に奪い去るのも天地なのだ そして人は失ったものの大きさを思う


論語に、孔子と斉の景公との会話が出ている 景公が政治の要諦を問う 孔子が答える 「主君は主君らしく、家臣は家臣らしく、親は親らしく、子は子らしくさせる事でございましょう」 斉公が、この言葉にいたく感心した 曰く 「ほんとだなあ ほんとにそうだなあ もし親が親でなく子が子でなかったら、倉庫に米俵が山と積まれていても、いったい誰と食卓を囲み、満開の桜があっても、誰をつれて花見に出かけようというのだ」


「一喜一憂」こそが人生


いまハッキリ見えてきたものがある 何事かの個人的な「悲願」を背負っている者の場合は除く 一般論として、人生の目的とは、事業の成功でもなければ借金の完済でもない 長生きすることや有名人になる事ではむろんない 仕事とは無関係とはいわないが、人生の実質とは誰とその苦楽を共にしているかという事だ 立派な社屋が残り、借金がなくなり、暮らしに余裕ができたといっても、それをわが事のように喜んでくれる者が、そばに誰かいるか? 


言い古された言葉だが、我々の苦楽はそれを分かち合う者がいれば、悲しみは半分になり、喜びは倍になるのだ 電話の一言でもいい 背中が温まれば、寒くてもカゼはひかない 人にとって掌中の珠とは、やはり「人」だ


失ったあとで、はじめて気がつくのだ 人生とは、土芥にまみれて地面に転がっている人形 それにまつわる懐かしい記憶 友に贈られたモンブランの万年筆―― 新聞の、裸足で泣いている女性の姿に自分の人生が重なる 死を前にしたとき、人の脳裏を楽しかった様々な出会いが走馬灯のようによぎる  

光陰は矢の如し じつに、じつに、一喜一憂こそが人生 同じ紙面に、自衛隊の青年に背負われているお婆ちゃんの笑顔 息子のような自衛隊の兄ちゃんの背中で大満足 たぶんこのお婆ちゃんの生涯の困苦や悲しみは、この兄ちゃんの背中で帳消し――そんな笑顔だこれは よかったな、婆ちゃん 

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 行動文化 (震災1) 天災と人災 

 まだ人類は「原子力」を使いこなせない

 この寒空に、原発から20キロ以内の住民は夜具をかかえて避難せよという


 地震は不可抗力の「天災」だが、原発の放射能拡散は「天罰」である


建設にあたっては、口をきわめて「安全」を力説した


原発の企画立案者も、また支援した言論人も、どう責任をとるのか? 彼らがこれからどう動くか、よく見ていようではないか


学校教育について、思うことがある


支那事変を引き起こし、退き際をあやまり、勝算もないのに米英と事をかまえて国を滅ぼしたのは、国が教育を施した秀才たちである


 原発を立案したのも、これにGOサインを出したのも、みんな国が育てたエリートだが、彼らに共通した特技が三つある それは何か? 


(1)、自己弁護 (2)、責任転嫁 (3)、逃げ足が速い 以上の三つ これが学校教育の成果である 思えば、敗戦のあとの教科書墨塗りに教師として後ろめたい思いをした教師たちは少なくなかったが、しかし「自決」という責任の取り方をした教師は、ただ一人だった 自決しろとは言わない 無責任を思う


 我々はまだ原子力は使いこなせない 身丈に合った生き方があるはずだ 都市集中を避けて地方に分散し、森を育て、土も水も空気も汚さず、小動物たちと自然の懐に抱かれて共存する暮らしを思う 汚すな、壊すな、逃げるな 我々の地球だ 空気や飲み水を買う暮らしが豊かな暮らしといえるのか?


 


「統率術」というもの


 いまふうに言えばリーダーシップのことである 一時期、「帝王学」という言葉がはやったことがある 内容はまあ同じものだが、これに大きく分けて東と西の違いがある 西側では統率とは権力による支配と服従を意味し、東側では信任に対する忠節を統率と呼ぶ


戦前、「国体明徴」という言葉があった 国体明徴論者とは伝統文化を擁護する民権論者、議席では左翼に対する右翼、国政は力ずくの支配ではなく民意を重んずる王道を旨とした 「王道」がまた見えにくくなっているが、これはキングズロードではない 覇権思想に対する王道思想である 源流は孟子 孟子によれば、一番エライのは民、その次が社稷、いちばん下にいて民百姓と社稷を護るのが王 もし民を安んじない王がいたら、それは帝王でも何でもなく一介の下郎にすぎない 放逐しても弑逆にはあたらないとする これは「信任には忠節、支配にはクーデター」という一種の革命思想であって、徳川政権の権力奪取も、明治維新も、理論武装に使われたのはこの王道論である

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行動文化 (42) 鞍馬天狗 

 鞍馬天狗

 今回は雑談――というと「これまでのは雑談じゃないのか?」といわれそうだが、ここんとこ、ちとリクツが続いた 今日は酒でも飲みながら雑談で遊ぼう 二十年ほど前の、桜の時期に書いた雑文がある 文体もいまとそれほど変わっていないから、そのまま持ち出す 高校の悪友どもが相手の雑文だから少々浮かれ気味だが、しばらくお付き合い願いたい ま、とりあえず一献


  ―――――――――――――――――――――――――


 ことしの東京の桜は、雪の桜だったな 


花吹雪とも呼ぶが、今年の桜吹雪には本物の雪が入り乱れた 


♪花咲かば、告げんと言ひし山里の、告げんと言ひし山里の、使いは来たり


馬に鞍――御存じの「鞍馬天狗」 めったにないことだが、桜の花弁が、降りしきる雪と夢幻のうちに入れ替わるといった趣の、「山里」ならぬ東京の花吹雪を宮崎にいて見た 桜がもつ一種の妖気を雪がひき出したような凄味のある景色 演出を工夫して能舞台にかけたらよさそうな、これは日本人好み――


 春分から数えて十五日目が二十四節気のひとつ「清明」 これは支那の呼び方だが、陽暦の四月五日ごろがこれにあたる まだ書翰文の書き出しに「料峭の候」が使える そこへあつらえたような桜吹雪


 晩唐の詩人杜牧に、「清明」と題する詩がある 杜牧は李白とともに好きな詩人だが、李白も杜牧も酒を愛する 酒の詩が多い 小生は酒は嫌いじゃないが、歌に詠むほどの酒徒ではない 中学の三年生のころ、柔道の稽古の帰りに湯呑で五杯ほどガブ飲みして、帰ったら目を回してひっくり返った これが小生の酒の始まりである 悪いおじさんがいて、稽古を見ていたが終わったらそばへきて、おまえ柔道をやるなら酒を飲まなけりゃあダメだと――いま考えてもよくわからん妙なリクツで飲まされた 旨いともなんとも思わなかったが、柔道が強くなるのならと―― 胸が悪くなって飲んだ分はみんな吐き出したが、二、三日はげんなりした 「おれはバカだな」と思った  


つまりひどい二日酔いが小生の酒のはじまりである いまは好みの酒も決まり、気が向けば酒杯もとるが、元来が気分の酒………そんなこたどーだっていい 小生がどの程度の酒飲みか、聞いたってしょうがなかろ ――えーと、なんの話だっけ――そうそう、杜牧先輩の「清明」の話だった これだ


 


清明時節雨紛紛 路上行人欲断魂 借問酒家何処有 牧童遥指杏花村 杜牧


  アメハフルフル、ココロハヒエル フラレオトコハシンダホガマシダ 


  ソコユクニイチャン、ノミヤハナイカ オジチャンスモモノアッチダヨ  


 

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行動文化(41)  武士道 

 「武士道」などというものは存在しなかった

「武士道」といえば新渡戸稲造が定番だが、新渡戸武士道は山崎闇斎の「臣道」と同質の忠犬武士道である 


武士は犬ではない どちらかといえば、犬ではなく狼、けっして飼いならされることのない狼に近い 「滅私奉公」は戦国武士道とは関係ない 男の一分が立たぬと思ったら主君にでも刃向かったのが戦国武者 もし「武士道」などというマニュアル、道、つまり規範やキマリを立てる者がいたら、そんなものには背を向けてわが道を往くのが、「男道」とも呼ばれた武士道である 


♪世の中の人は何とも言わば言え わが往く道は我のみぞ知る 坂本龍馬のポリシーがこれだ 龍馬は男 犬ではない 「滅私奉公」などするものか 


小生のみるところ、山崎闇斎の崎門朱子学も、臣道も、日本の近代化には障碍にしかなっていない 本邦の近代化を推進したのが武士道だという新渡戸武士道の主張は戴けない 


日本の近代化を進めたのは、武士ではなく経済官僚の小栗上野介と田沼意次 


それに関東関西の豪商たち 思想としては石田梅岩の「心学」だろう 近代化とっては武士道は障碍にしかなっていない 


 


武士道と「もののあはれ」 そもそも新渡戸武士道は武士道をキリスト教に対置している ピンボケである 引き合いに使うならキリスト教ではなく、源氏物語の光源氏だろう この美悪雑乱の一代のプレイボーイを道徳教育や俸給などでは飼いならせない一匹の狼になぞらえれば武士道との接点がみえてくる  


むろんこれをキリスト者たちに示したら彼等仰天するだろうが、理解は必要ない 仰天させておけばよい 日本人とは得体の知れぬ奴らだとケムにまいておく その方が彼等の土俵で相撲をとるよりずっといい

空疎なタテマエ論や強がりを親の仇のように嫌悪する本居宣長の「もののあはれ」の基準でいえば、光源氏というプレイボーイの「ふたごころ」というもおろかな無節操など、何の問題にもならぬどころか「正直」という美質 右にふらつき、左によろめき、作らず飾らずの「ありのまま」を生きている「あはれ」をさそう姿として、宣長の評価は高いのである 道学者たちのいう是非善悪の基準などこのさい関係ない 護国の鬼には護国の鬼の歌を、恋に狂っている者には恋、泣き虫の石川啄木は蟹を相手に泣きぬれさせておく さかしらな人物評釈など無用 賢愚正邪などどうでもいい――これが復古神道の掲げる「古道」 何とくったくのない、広やかな道ではないか 「教義」がないから壁がない 歌はむろん武士道も、やまと魂も、ここに生まれ、ここへ帰る

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行動文化(40) 機嫌よく仲良く生きてゆくのにリクツはいらない・賀茂真淵が説く「古道」 

 機嫌よく仲良く生きてゆくのにリクツはいらない

日本神道、とくに賀茂真淵、本居宣長の復古神道は、儒学を目の仇にする 


リクツが多い、というのである 宣長によれば、朱子学もふくめて儒教とはつぎのようなものだ


「わが国は神ながら言挙げせぬ国 古人の日常とは何のかのとリクツがましいことはいわず、ただ嬉しいことをうれしいとし、悲しいことを悲しいとし、困ったことを困ったとする人情の自然に生きているだけの事なのであって、古来それで丸く治まっていた 神の道はあっても、ことさらな「教義」など何もなかった 必要がなかったのである だが異国(シナ)は神に護られていないから風俗も悪く、人心もすさんでいる そのために騒乱が絶えず、「聖人」などというウヌボレのきつい策略家がしゃしゃり出てきて、色々なリクツを思いついて無理にでも人を縛ろうとするが、それでうまく行ったかというとそんなことはなく、いつも失敗ばかりしていて大仕掛けな「革命」などという大騒動がおきる 彼らがでっちあげた「道」なるものは、失敬な事をさまざまに言い立てて人をそしる (うふ ふ 耳が痛い) 儒者(ずさ)どものさえずり草になっているにすぎない 彼らのいう「道」とはただ他国を奪い取り、あるいは奪われまいがための備えでしかない 彼らがいかに立派に見えようと、それは見かけだけで、言っている事はみんなウソ ほんとはみんな大変にたいへんに悪い連中(直毘霊)――なのだそうである  


 賀茂真淵が説く「古道」 ――こと少なく、こころ直きときは、むつかしき教えは用なきことなり 教えねども直ければことゆくなり それが中に、人の心はさまざまなれば、わろき事あるを、わろきわざも、直き心よりすればかくれず かくれねば大なる事にいたらず ただその一日の乱にてやむのみ――


これが真淵の主張する「古道」である なんともさっぱりした思想ではないか こころ直きときはむつかしき教えは用なきこと――この一句は小生のようなヘソ曲がりにも心底こたえる 当然だろう 小生まぎれもない日本人なのだ 


真淵の言葉には、ふるさとへ帰って祖母といろり火をかこんでいるような安らぎを覚える 小生、人もいやがるヘソ曲がりの理屈屋だが、これまでため込んできた屁理屈を、このいろり火で浄化して、曲がっているヘソを歌の道で真ん中へもどす必要を覚える 仲良く暮らすのに学識や主義主張が邪魔になるなら、そんなものは捨てよ 立場をこえてみんなで仲良くやっていく事を遮る者がいたら、理論やリクツでなく決然たる怒りと腕力で阻止しろと、この二人の大先輩は教えている 孟子の王道論と重なる、世界を総合する一視同仁の日本神道のグローバリズム 

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