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行動文化 (22)  セクハラ上司は無能の証明 

 立場を利用し、弱みにつけこんで異性を支配しようとする、男としても、仕事師としても、教育者としても、無能の証拠だろうじゃないか

昨今は女性上司のセクハラもときどき耳にするが、まだまだ男性社会である男から「力」を差し引いたら何も残らない


人を相手にする場合の「力」にもいろいろある 知力、政治力、財力がここで問題にする「力」の内容だが、セクハラとはジェンダーギャップの次元のもめごとである 権力を背に、相手の足元をみて弱みにつけこむという手しか思いつかないような人間に、人間相手の仕事ができるものか


世人から「切れ者」と呼ばれる人たちがいる


新渡戸稲造の武士道論とは、日本の近代化の原動力になったのは武士道だという意見だが、従い難い 近代化のためには武士道は障碍にしかなっていない  


近代化をすすめたのは田沼意次と、小栗上野介と、関東関西の豪商たちである また思想としては、武士道ではなく石田梅岩の「心学」である なるほど小栗も田沼も身分は武士だが、両人とも本質は現代の企業家たちに通ずる経済官僚であって、人心の機微に通じている人間通であった 二人とも「武士」と呼ぶには違和感がつよい 力とは何か 武力か、それとも知力か、財力か 小栗も田沼も豪商たちとは肝胆相照らすものがあった


 


男なら、「それがどうした?」 女なら、「それで?」


聞いた話だが、ブラジルでは電話のベルで受話器をとると「あんた、だれ?」と訊いてくるという いや、受けた側ではなく、かけた側、つまり人を電話口に呼び出した側がこれをやる 日本人なら「電話とはかけた側の都合だから、こっちから名乗るのが順序」、と考える 世界は広い いろいろいらあな


床の間には花と、書軸と、香炉 机上には筆硯、厨房には酒、膝の上にはネコ これで日本人の暮らしの型がきまる すべてが所を得た、「安定」の姿


枕元には靴、天井からは裸電球、コンクリートの壁側には資料の山、床にはモーターバイク、仕事着のままで長椅子に仮眠、これは非常時の姿 このミスマッチの配置も、まんざら捨てたものではない 無常の世の中、いつ、何が起きても、これならすぐ動ける 肌触りのいいパジャマに羽毛の布団でないと眠れないのは平和ボケ こんなふうではどうしても尻が重くなる 応援団に囲まれ、賛辞に耳が慣れると人はふやけてしまう 悪口雑言、罵詈讒謗、何とでも言え 的を外さない、役に立つ悪口なら歓迎 のぼせをさますには効果的、いう事はそれだけか? 的を外していれば、「それがどうした」でかたづく ▲▲

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行動文化 (21) 「嫌われた」のならしようがない ・女を殴る男は鑑賞にたえない 

 嫌われた」のならしようがない

イヤな相手でも、仕事となれば「お前は嫌いだからあっちへ行け」とは言っていられない それでは仕事にならない だがプライベートな付き合いとなると、イヤな相手とまで付き合わなければならん理由はない


イエス・キリスト氏は「汝の敵を愛せよ」と言ったとあるが、それは無理だそんな事をしたら胃を悪くする へたをするとガンになる よちよち歩きの幼児を殺した奴を愛する事のできる人がいたら、それは人格的な畸形


人が人を択ぶ最終的な基準とは結局、「好き」か、それとも「嫌い」かではないか 芸術作品の場合も同じことではないか 音楽にせよ、絵にせよ、最後に残るのはその作品への親和度ではないか 記者の場合、ピカソとシャガールとを並べられたらシャガールを択ぶ 交響楽の場合、カラヤンは嫌いだがフルトベングラーは好きという、いわゆる「カラヤン嫌いのフルベン好き」というのがいる 記者の場合もこれに入るが、しかし重ったるい交響楽よりもジャズの方が好みだ 古来「フラれて怒る野暮男」という 男ならお互い、フラれたのなら、せめて頭をかいて退きさがろう フラれた上に怒ったのでは外野席でも点数のつけようがないではないか


 


女を殴る男は鑑賞にたえない


前々からから感じている事がある 女を殴る男は鑑賞に堪えない 


観賞に堪えるのは女を殴っている男ではなく、女に殴られている男の方だ 


知力や気力はともあれ、男と女とでは体力がちがう 


男とは労働力 つまり奉仕者 男とは消耗品 女とは消費者 


女とは男に護られて、産み、育てる性である 男とは、女の消費のために奮闘することを生きがいにする生き物である 


男とは作る人 女とは食べる人である 男の顔は履歴書 女の顔は請求書である そこを間違えてはいけない


もう少し


女とは花 男とは肥料と水である 女とは男たちに、その美しさを愛でられ、称えられ、百万本のバラとともに命まで捧げらるべき存在である 


男は取り換えられても仕方ないが、女を取換えることは許されない 女を殴るなどもってのほか 言葉で殴ることは無論、花で打つことさえ許されない


体力腕力において勝る男という労働者が、細い丸腰の可憐な女を殴っている姿は鑑賞に耐えない 何があったのかはともあれ、腕力において勝る男が、花である女に黙って殴られている姿は悪くない 同性諸兄、殴られましょう▲▲

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行動文化 (20) 人はみんな完成品 

 教育基本法は、「人格の完成」を目的としている

ひとつ伺いたい 「完成した人格」とはどういう人格をさすのか? また何を基準に「完成」と「未完成」とを区別するのか?


学校教育の場では優等生と劣等生とを峻別するが、評価の基準はペーパーテストである 部分的な思考力は試されるだろうが、しかしこれだけで「人格の完成」を目標として掲げる先生方、少々、面映いのでは?


視点は人さまざま、いろいろある 


小生のみるところ、人はみんな完成品である 立派な人間もダメ男も区別するなという事ではない 


人とはそれぞれに社会人としての完成度や本人の都合とは無関係に、一個の宇宙現象なのである つまり「自分大好き」のウヌボレ屋は、「自分大好きのウヌボレ屋」として出来上がった一個の完成品、コネ入学を許す教育長とは「コネ教育長」という完成品である してみると、なまじ「完成」するよりも未完成のままでいた方がマシという結論にもなるが、それはまた「未完成人」という、一種の天体、つまり星 酔っぱらいは「酔っぱらい」として出来上がった完成品 その証拠に、酔っぱらうことを「できあがる」というではないか もっともこんな事を覚えてみたって一文にもなりはしないが


 


ヤクザは「乞食」より下、「ドロボー」より上


インテリやくざと呼ばれた侠客の言葉である 「借りたカネは返すな」などという本を書いたり出版したりする連中よりも、さすがによく自分を見きわめている 人が何を仕事として生きているかについては、他人には判らないそれぞれの都合や事情があっての事なのであって口のきき方には気をつけなければならないが、評論、創作文藝を問わず、物書きとはペンを道具として使う文藝の徒、書きあげた原稿とは商品である 当然、商品としての値踏みはされる 


されるが、しかしこれは物書きにとっては最低の拠点でもある 歌手たちにとっても基本的には同じことだろう 歌手にとって歌とは自己主張である以前に、顧客にとっては商品なのだという事を忘れない方がいい


小林秀雄という論客がいた この小林さんのところへ「原水禁運動」なるものに関わっていると称する青年が面会を求め、寄付を要求した 小林さんが断ると、「先生は原水禁運動についてどんな意見をお持ちなんですか?」と居直った すると小林さん、「小僧 おれは意見を売って食っている人間だよ おれの意見が聴きたかったらカネを出せ」 いかにも小林さんらしい、凄味のある返答ぶりだ この青年とは腰のすわり方がちがう 勝負にならない ▲▲

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行動文化 (19)  平成の士道  

 「信任」には「忠節」  「支配」には「クーデター」

平成とは、人を結ぶ「きづな」の切れやすい時代である 絆(きづな) とは、おそらく「気綱」であろう 組織はどこも「連帯感不在」の状態にある 協調性に欠け、「気配り」や「気遣い」が見られなくなっている なぜか? 


この傾向に拍車をかけているものの一つが電脳 職場では出勤と同時に電脳が相手、このまま定刻まで その間、雑談も笑い声もない むろん怒号もない ケンカもない 黙々と出勤、黙々と執務、黙々とひきあげる 人間関係は冷える 「おい、どうだい そのへんでちょっと一杯――」こんなやりとりも聞かない 支配しているのはノルマ 


不満が無いわけではない しかし、この「不満」を爆発させるだけのエネルギーがない だからクーデターの心配はないようなものだが、こんな状態のところへ声の大きいアジテーターが現われて、たとえば孟子の王道論や放伐論が入り込んだら、それが火種になってクーデターに向かわないものでもない


夏でも寒い背中


孟子とは「居仁由義」である


隙間風の吹きぬける平成の家庭 「仁」(取引でない無条件の愛) こそはスキマ風の入らない、人の安宅 「義」こそは納得ずくの行動 「義」で結ぶのが盟友 昨今の「連盟」の実態は、左手で握手、右手にナイフのライバルの寄り合い 心を開いて語れる仲間ではない 盟友同士でなければ「連盟」は成り立たない よくぞ言った アングロサクソンの「フレンド」は「友」を意味しない 「敵ではない」というほどの意味しかない 日本もすでにこうなった


「盟友」とは本来、血をすすりあって誓う、莫逆刎頚の友 「お互い、生まれたときは別々だが、死ぬときはいっしょ」の「血盟」の「盟」である 極右の思想と思われているが、これが右も左もない「士道」 「仁義」などというとヤクザのお兄さんたちのアイサツと思っている者がいるが、任侠のお兄さんたちでも知っているようなポリシーを紳士淑女が知らないのはいかがなものか 


「仁義」とは孟子、孟子とは朱子学 「自由」の二文字と「民主」の二文字の卸し元が朱子学 平成の日本人はこの事を忘れてしまっている この事から各種各様の気持ちのすれ違いが生まれる 「もったいない」のでは?


かつて「金打」(キンチョウ) という誓いの作法があった 武門の作法 腰刀の鍔と鍔とをカチリと打ち合わせた 違背は自決 


白けの時代 大きな代償を支払って手にした「自由」だが、こんどはその「自由」のために、人は宝物である「仁」を失い、「義」を失い、友を失い、心の中に大きな空洞を作ってしまった ここへ隙間風が入りこむ 夏でも背中が寒い

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行動文化 (18)  わび状 

 場外ファウル

もの憂く、酒杯を重ねて酔わず 弧愁の夜寒に想いぞ屈するままに、夜もすがら電脳に向かいて、心に浮かぶよしなし事をそこはかとなく鍵盤に打ちつくれば、あやしゅうこそもの狂おしけれ 余もとより教誨師にあらず 剣とペンを頼りの一匹の白狼 生涯にせめて一度は世人に「教誨」なるものを垂れてみたくは思えど、この世はリコウ者のつもりの「リコウバカ」と、バカのつもりの「バカリコウ」の寄り合い所帯 読者の方が書き手よりは賢きが通例にて、小生いまだ反抗期を脱せざる十六歳のワルガキ 小論とは時世への八つ当たり  


ヘソとともに鍵盤打つ指元も横へと曲がり候て、あらぬ方へと手元不如意の場外ファウル、道往く良民へデドボール 悔みてもくやみきれざる失投 これ小生の背に終生担うべき十字架に候へば、七重の膝を八重に屈してお許しを乞い奉り候 


詫びのしるしに、つたなき舞をひとさし献上つかまつる ♪ テンテン手ン毬 テン手毬 転々手毬の手がそれて 垣根をこえて、屋根こえて 表の方へと飛んでった  表の行列なんじゃいな 紀州の殿さまお国入り 金紋先箱供揃え お籠のわきに赤狼……あとは失念つかまつり候 これにてなにとぞお許しを賜りたく 


追而 「白」は小生の垂直思考 「赤」とは唯物科学の勇敢なる水平のつもりに候 ご明察 


 


各論不在の哲学 (その2)


(16)では、我ながら不徹底なピンボケを書いた 以下のように改める


医療に「正統派医療」と「代替医療」があるが、これはいわば西と東の医学体系の区分にすぎない 神業に近い「気功」など、西から見れば東 それで「代用医療」 思い上がるな 医に基礎医学と臨床医術のちがいはあっても、本流も亜流もあるものか 必要なのは長短相補う視野 それがヒーラーの良識


書店で聞いた話だが、いちばん万引きされるのは哲学書だという 哲学書?


盗むのはいったいどんな奴か? 


愚問である 哲学者にきまってるだろう そうでなくていったい誰がこんな小難しい本を読むか 冗談じゃない ところが哲学者たちの世界には朱子学などの実践論(各論)を「プラグマティズム」としてバカにする傾向がある エライのは純粋哲学、つまり自分たちの「純哲」の方だと思っている とくに小生のような棒ふり(武道人) は、彼らの頭の中では人間の中にさえ入ってはいない    

入れてもらえなくて仕合せ 彼らといっしょにされちゃたまらない ▲▲

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 行動文化 (17)  罪なき者 石を投げよ 

   あんまりじゃあござんせんか

 舞台役者、海老蔵が連日連夜、マスコミの餌食にされている


 「役者も社会人 日常の言動はつつしめ」


 評論家先生の、ごもっともなる御意見


 ならば小生も申し上げよう


 報道人も人の子 舞台人といえど親もいれば、妻子も、友もいる 木枯らし紋次郎兄貴にいわせれば、「あんまりじゃあござんせんか」


 舞台役者の評価は、表芸である舞台の芸で 野球選手の評価は野球場でするのがオトナ そんな事ばかりやってると新聞も電波もインタネットに食われてしまうよ


 売春婦をあざけり、石を投げている良民(社会人) 気取りの者たちにキリストが言った 「汝らのうち、罪なき者、まず石を投ぜよ」 これが朱子学の「仁」 


 人とは宇宙の闇から出てきた、是非善悪以前の偉大なる混沌 人から「いかがわしさ」をそぎ落としたら「人」ではない 駆け出しの新米記者ならともあれ、新聞社や放送局には一騎当千の論客がおり 上司も顧問もいるはず 役者の足元をみての「弱い者いじめ」はみっともないぜ 


 


 気安く他人を裁くな 何様のつもりだ?


 むかし見たテレビドラマに、「ダゴタの男」というのがあった 


役者は覚えていないが、イケ面といういは程遠く、「信念」や「職責意識」も頼りない保安官 列車強盗を企てている古い仲間に声をかけられた 「人数は七人 分け前はこれこれ 組まねえか」 この保安官、心がゆれる こういう野郎だ とんでもない保安官 視聴率を誇っていた 共感だろう


 海老蔵も一人の男 聖人君子とは誰も思っちゃいない 社会人としては問題? 問題はあるだろうよ なかったら人ではない ひいき筋やフアンの夢をさます? つまらぬ夢だ はやくさませ 役者にとって身辺のゴタゴタは芸のこやし ヒンシュク? このバカ 聖人君子の芝居など誰が見に行くか 


オトナなら、ガキっぽい夢などさました上でヒイキをしろ だから小生の仕事にもと言いたいところだが、小論も読んでくれる人がいると思うから書いている しかし、みんなヒイキである必要はない 論を以て立つ者に論敵は必ずいる いなかったら論客の名に値しない 


共感は無論うれしいが、支持が得られなくても、読んでくれる人がいるかぎり筆者はこんな形で呼びかけ続ける 明恵上人は、名もない小島に恋文を送った 宛名は「島殿」 どこかへ置いてこいと小者に託した ▲▲

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行動文化 (16)   平成の孤独感 

 あんまりじゃあござんせんか

 この言葉、「あっしにゃあかかわりのねえ事でござんす」とセットでなら、「ああ、木枯らし紋次郎」とわかる読者も、まだいるはず 


笹沢佐保描くところの、いつも長い楊枝をくわえている流れ者紋次郎 「どうしていつも楊枝を?」には、「これは癖ってもんでござんす」 アタマの片付いた、筋目ケジメのはっきりした男 一見したところのニヒルな感じ、彼の虚無の感触は、「あっしにゃあかかわりのねえ事」と冷たく身をかわす部分 意外な優しさは「あんまりじゃあござんせんか」と介入してくる振る舞い 


「義理と、人情と、やせがまん」が、江戸の町火消したちのポリシーだった  


紋次郎の「かかわりのねえ事」は筋目意識 これが「義理」 「あんまりじゃあ――」は、筋目からは出る幕ではないのだが見るにしのびないという「情誼」 ひとの難義を見て見ぬふりは、この男の美意識がゆるさない これが痩せガマン つくづくと思う 平成の寂寥感とはこれを見失ったことによる天罰


かつて支那駐在の外務官僚が懐に飛び込んできた窮鳥を官憲につき出した時、「ロゴスもパトス」もない行動」と非難された 外務官僚といえば学歴も十分のエリートのはずだが、その美学は関東無宿の流れ者、紋次郎にはるかに劣る


平成の日本人の孤独感とは、オテントサマの岩戸隠れ、「義理と人情と痩せガマン」という、朱子学でいえば「仁義」を見失った事からきている これから真冬 吹きさらしの中の、埋めようもない孤立感 鬱の病根――


 


各論不在の哲学


「哲学」なんて、そんな小難しい七面倒な事は知らなくても間に合ってる?


ところが、これがそうでない 哲学を知らないと命にかかわる とくに医療界ではではそうだ いるのは基礎医学の研究者だけで臨床家が一人もいなかったらケガ人や病人は路頭に迷う 知らなくても差し支えないのは「総論」の方である 総論とはリクツ 各論とは行動 「義理と人情と痩せガマン」 この三つさえそろっていれば、リクツは知らなくてもなんとかなる


出版人に聞いた話だが、書店でいちばん万引きされるのは哲学書だという


盗むのはいったい、どんな奴か? 愚問である 哲学者にきまってる そうでなくていったい誰がこんな小難しい本を読むか 冗談じゃない ところが、哲学者たちの世界には朱子学などの実践論をバカにする傾向がある エライのは純粋哲学、つまり我々「純哲」の研究者たちだと思っている とくに小生のような「棒ふり」(武道人) は、彼らの頭の中では人間の中にさえ入ってはいない 入れてもらえなくて仕合せ 彼らといっしょにされちゃたまらない ▲▲

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行動文化 (15)  ニヒリズム 

 会費は「対価」か、謝礼か

その判断の基準になるのが筋論、つまり立場意識なのだが、太平洋戦の負け戦で日本列島はまっ平らになってしまったから、何をどう考えればいいのか、行動のための座標を失った 


団塊の世代以降、日本人は行動律をもたない 「行動律」などと言おうものなら胡散臭い目でみられる では「セオリー」とか「ポリシー」と言えばわかるのか それとも、これも「そんなもの、いらない」と思うか?


「行動律」という言葉につきまとうウサン臭さとは「滅私奉公」と聞いた時と同じく、国家権力による全体主義の胡散臭さである 「もう騙されないぞ」という反感だが、我々は尊い犠牲と引き換えに「自由」を手にした 


ここへ持ち出した「行動律」とは、自分の個人的な問題である で、その自分自身の行動律だが、「自由」とは総論 「自由」の各論とは他人に支配されない「唯一の選択」のはずだ 会費とは「対価」なのかそれとも「謝礼金」なのかは各論である この問題をつめておかないと我々は風来坊になる 


小生の気に入らぬ歌がある 与謝野鉄幹という男、小生は決して嫌いではないが、ご存知「妻をめとらば」のあとには、「恋」に殉ずるには名が惜しい だが友情の「義」のためにならば火をも踏むぞ、と続く 


なにを言うちょるか鉄幹兄よ おぬし、「名」がほしいのか? 世のホメラレ者になりたいのか? 惚れた女ひとり護り通せなくてなにが男か おぬしのいう「義」とは、女を護るには邪魔になる程度のものか? 「命に代えても」というものを見失ったのがニヒリズムだよ そんな連中には結婚も取引契約 師への謝礼金もたぶん、商取引の「対価」だろうぜ  


『バカの壁』のニヒリズム


この本、人生には「とりあえずの処置」があるだけだと言い切る 五大紙もこれに同意 ウイルス並みの連中を問題にしてもはじまらないが、ニヒリズムとは「人生にはとりあえずの措置しかない」と思っている連中の人生観や処世観をいう この著者の視野には、「敬」も「礼節」も「信義」も「節操」も入ってはいない むろん「仁義」など入るはずもない 自分の語り口に似せた編集部員の代筆になる本を自分の名で公刊するような美意識に、「信義」や「節操」など入るはずもないが、「行動律」を持ち出すまでもなく、人は考える葦 知らぬ事は「知らぬ」、わからん事は「ワカラン」としておく程度の知性は必要だろう この本、傳習録も読まずに「知行合一」についてのピンボケ講義をしている 解らないことは「ワカラン」としておけ 「話せばわかる、は大ウソ」は言葉の否定 ならば本など書くな ▲▲

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行動文化 (14)  二重規範 

 脇の甘さ タテマエと本音 人間の二重構造 強い者はこの二つを分ける必要はない 本音のままで行けるが、弱いくせにこれをやると潰される

世のため、人のため? 本音ならりっぱなものだが、さあて、どうかな?


人の本音部分は、その「言う事」ではなく、「する事」を見ていればわかる


公私を問わず、掲げてあるタテマエにウソがないのなら、税金対策、つまり「節税」が「世のため人のため」の旗印を倒して前面に出てくることはないはず もし出てきたらその動きが弱点になって蓮舫女史に仕分けられてしまう 


ではどうするか われながら姑息な発言だが、戦術的には「脇の甘さ」をなくする事である 脇の甘さをなくするにはどうするか タテマエと本音との距離を縮めよ そのためには何が問題なのか? ところが現実には会議以前に一握りの人間たちによってすでに結論は出ているのだから、結果は衆して議せず、議しても決せず、決しても行なわず、結果は何事も変わらず行くところまで行ってしまう


名が出てこないが、以前財界に、「会社がつぶれるのは、リコウがケンカしているか、さもなけりゃバカが仲良しごっこをしてる時だ」と言った人がいた のちに修正して「リコウ同士がケンカしている時は、然るべき者が出ていって仲裁すれば、根がリコウだから聞き分けてなんとかなる しかしバカ同士が仲良くしてる時は、これはどーしようもない 行き着くところ、つまり「破産」に行き着いて、あとは責任のなすり合いになる 


 


アジア型アナーキズムの源流、孟子


世に「筋論」というものがある 以前、小生の『武道の礼儀作法』を、「これは筋論ですね」と評した武道人がいる むろん筋論を書いた 作法とはルーチンではない 筋論でないと役に立たない 小著は、法規でいえば法律原論 礼儀作法の原論である この人物の「筋論ですね」は「無価値」という批判である こんな時はこうするという、どこでもやっているキマリが書いてないじゃないか―― さきに「脇の甘さ」と言ったが、相手にもろ差しを許すのは「筋論」をナメてかかるからである 朱子学の源流に、王道論と、その各論としての「放伐論」で知られる孟子という思想家がいる 体制派の思想家と思われているが、ものを知らないのは危険 体制派どころか、孟子は反体制の革命思想家 アジア型アナーキズムの元祖 読者諸兄姉、孟子は弁護士たちに護り神として祀られている事をご存じか 孟子と孫子ぐらいは精読せられよ 天下取りの思想と経営者たちに恐れられる孟子の「放伐論」とは、民を安んじない主君とは一介の匹夫下郎と断ずる、クーデターのための理論武装なのだ▲▲ 

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